2013/06/27

フランスの一番新しい原発はシボー CIVAUX

 フランスの老人ホームのランチは

チキン、ラタトイユ、ポテトフリッツ
 

  訪問者も予約したら、一緒に食べれるらしい、喜んでもらえるかな・・・と思い、

お見舞いに行った介護老人ホームの ランチして来ました!

 量は 少いめやのに、
ビジターはレストラン並みの 料金
で、お高いなあ~と思ったけど、 インテリアやサービスが悪くないんよ~、
ポテトフリッツは油で揚げずに低カロリー。 




 
 おつまみ(クラッカー)にはロゼワイン、メインに赤ワイン付き テー
ブルワインですけど・・・
     食べる前に写真を撮り忘れた 前菜はツナのケーキにマヨ-ネーズ添え




      メイン+デザート



    +チーズ+コーヒー 
      





       と、  まあまあ満足やったわ~!



 ポワチエ郊外にあるシボー原発 <CIVAUX>


   どこからでも隠されずに見られるフランスの原発やった~!
  ポワチエはフランスの西部にある都市でそこから南東35kmにあるのがシボー原発。




私は5月に大飯原発のある足元まで電車乗り継いで行ったんやけど、小山のようなものに隠されていて、
原発の建物は見ることが出来へんかったんよ・・・(6月記 大飯原発に)




  ここのんは  国道からその入り口まで、
  普通に車で行けたんで、びっくり!


   E・D・F(フランス電力)が経営する中では
 
   高さは一番の原発で178mあるんやて。
 シボー原発はフランスで一番新しい原発で、
1号機は1997年運転開始、翌年事故があり停止(10ヶ月)、1999年から2号機と共に営業運転開始している。


 行ったのは日曜日、
2号機からだけ 煙(蒸気?)が出てた・・・

2012年5月から1号機は週末運転停止
 らしい。







 そこから数キロ近くにある、人口1千人足らずのシボーの町(?村?) に行ってみたら、




 町の中心からは、
 

  まるで シンボルのように・・・





    
 19世紀には1千人の人口が100年続いたのに、第二次大戦後は減ってずーと700人未満やったそう・・・

 ところが、原発の交付金のおかげで、 スポーツ施設の充実、(スキンダイビングプールもある) 、ボーリング場やいろんな施設がこの小さな町に。 (福井県の大飯みたいに・・・)
 
  ほんで、原発が稼動してから人口が最近増えて1千人近くになった。





        
   綺麗な市役所
 






    







    立派な考古博物館
  


 




  美しい釣り池からも景色の一部に



   びっくりなんは、原発施設が

ポワチエ観光局のサイトではシボーの町の観光

案内スポットになってるんよ。

 
  ポワチエ観光局のサイト → ここ



  お隣同士のシボー原発とクロッコダイル館は同じ年に計画されたんやて・・・



 おいしい話にはどこでも一緒やね~!



 

2013/06/16

【あさこはうすへの道】



 5月に公開した「あさこはうす」への道 3部作を、ちょっと長くなるけど見やすいように、ひとつにまとめさせてもらいました。どうぞ宜しく~!


函館 朝市場の海鮮丼


JR函館駅横にある朝市場(朝6時からオープン)の中の食堂で
500円の海鮮丼定食~! うそみたいな値段やわ~!


大間マグロが食べられる時期ではなかったのが、
残念みたいやけど、ラッキーのような・・・
函館の魚は、 (!?!やけど) 誘惑には・・・ とちょっとだけ。



ついに あさこはうすへ向ってます・・・!

 「あさこはうす」に訪ねて行くのが念願やったんよ・・・ ずーっと、本州最北端 青森県下北半島の大間にある。

  なんで、「あさこはうす」やの? ちょっと長いけど、説明。

 「あさこはうす」は日本電源が建設中の大間原発敷地内のど真ん中にあるんよ。 (驚き!)  
  Jパワーの電源開発は東電みたいな卸電気会社やけど、水力発電と石炭火力発電に関しては
日本一の規模で、原発事業には初参入の会社やねん。
  
  その「あさこはうす」は1ヘクタールの私有地に建っていて、原子炉建てや予定地はそこからたったの250m!考えられる~!?

  大間の海を守る為にひとりだけ土地買収に応じへんと最後まで戦った熊谷あさこさん。
  その数年前に亡くなったお母さんの意思を引き継いで、今頑張っている 小笠原厚子さん・・・ 

 ネットのインタビューで<お手紙ください!><遊びに来てください!><それが応援になります!> と 訴えてはった。

 みんなで応援せんと、世界で初めての フルMOX (ウランとプルトニウムが混合) の原発が稼動することに・・・
 近くには満杯の核ゴミでいっぱいの六ヶ所村があるんよ・・・ちょっとでも何かあったら・・・ どうすんの?

そんなんで、行きは 東京駅から北海道の函館まで行ってからフェリーで大間に行く事にした。
その方が簡単かな~と、思い。(すんません、こんな贅沢は新幹線乗り放題のジャパンレールパスのおかげやけど・・・)

3月16日に開通したばかりの東北新幹線『はやぶさ』で新青森まで、




  車内 まっさら、

 気持ち良うて、寝てしもうた。。。

 福島を通過する時に車内からでも
 見たかったのに、
 なぜか帰りの時もまた寝てしもた・・・!?
三春町の桜の広告・・・きれいやろうけど放射線量がまだまだ高い、
子供連れて・・・ ええんかいな~?



それから、青函トンネルを通過する『特急スーパー白鳥』に乗り換えて函館駅で下車


夕方6時頃に到着したんで、1泊することにして、
函館駅前ホテルからの夜景を見ていたら、真下の通り向かいに朝市場が見えた。
 




 函館から大間へ

函館駅からフェリー乗り場へバスで、


函館ターミナルから津軽海峡フェリーで
4月18日に新しく就航したばかりの大函丸で90分、

            津軽海峡フェリー 時刻表 → ここ




  


 強風の吹く大間港へ到着したら、



大間大マグロの模型でお出迎え

 大間ターミナルには、厚子さんのお迎えがあり、
 一緒に途中のスーパーで買い物に寄り、歩いて30分くらいの「あさこはうす」へ向かう。

 国道から電源開発の作った横道が始まる・・・
  




ずーっとこんな道が1kmぐらい
 「あさこはう す」まで続く・・・

 
ひとりやったら、夜はよう歩かんわ~。








途中で通行する人を監視する小屋があったけど、目が合うと恐いので、写真はパス。
 
厚子さんは挨拶するようにしてるんやそう・・・









昨年、福島事故以来停止していたのに、政府の許可によって工事が再開されている・・・

  





工事から堀リ出した土は盛り上げられ山のようになっているけど、

 土砂くずれ防止に、
ビニールシートがかぶせられてる。

 追記 最新ニュース! 
     6月15日、16日に現地で 大間原発反対「マグロックコンサート」と集会デモが開催された!                      そのことは ここ  


「あさこはうす」に到着!

遂に到着、お泊りも大歓迎と言う事で、そうさせて貰う事になりました!
 寝袋持参しなくても、5~6人分のふとんあるそうやから、みんな行ってね~!
 もし車で行ける人はペットボトルとか重い飲み物などの持込みは喜ばれる







 居間にはマキストーブが。

その薪が庭に積んである。
郵便やさんが、今度チェーンのこぎりで伐りに来てやるな!と、
言うのが聞こえた。応援してはる。
 
応援者のストーブ屋さんからのプレゼントで
昨年の冬は暖かく過ごせた、
 と厚子さん嬉しそう!

1ヘクタールもある庭には小川が流れ、
ふきのとうや、いろんな草花が咲いているすばらしい自然が残っている。
これを破壊して放射能の汚染水がながれ、
魚や自然の幸が失われるなんて・・・ 




 送電線はなく、 自家発電の風力と太陽パネルがこのログハウスにある。

    ≪「 あさこはうす」にようこそ!



母は、放射能とか難しいことは分りませんが、原発がくれば海の温度が上がり、 魚達は生きてゆけず、漁業もやっていけないと推論したようです。


原発をなくす為に お母さんの家を守る 小笠原厚子さん


          郵便やさん登場、宅配便のお届け。。。何かな?




      
       ≪ 黄水仙の苗でした。≫


「あさこはうす」のプロジェクトのひとつ、黄色い花で埋め尽くそうプロジェクト!

送り主の女性は荷物よりあとに到着しはった。寝袋持って。

   仙台から庭の水仙の苗を宅配便で送り、その苗を植える為に助っ人連れて。
福島の子供が避難する権利をと裁判所に訴えているのを、手伝っている市民運動家やそう。
 もうひとりは六ヶ所村近くからの環境問題の市民活動家。

 そんならと私もその苗植えに参加。

電源開発の鉄フェンスの境界線「あさこはうす」側に並べて。
そのうち、ひまわりや黄色い花がいっぱい咲いたら・・・
楽しみやわ~!



   夜は自家発電の為、いろんな話をしながら、
   充電ランプの灯りの中で、ストーブに野菜を放り込んだ焼き野菜と
   仙台のお土産かまぼこ等の夕食、殆ど電気が無いを楽しく体験。


  厚子さんお手製の朝食


みんなより早く起きて朝食を作ってくれはったけど、キャベツの千切りサラダ、
薪ストーブだけで、昨日スーパーで買ったかき揚げとのさぬきうどん、
おいしい・・・ お料理上手! 写真の色がもうひとつで、すいません。


夕食もやけど、食料は厚子さんとみんなの持ち寄りで作る事になってますので、
忘れんといてね、半キャンプ生活を期待してください。

朝食後、先に出発の私を徒歩20分の最寄のバス停までみんなが見送ってくれ、
7時半ごろの下北駅行きのバスに乗る。(2時間くらい乗車、バス代は2000円)

本州最北端の駅 JR下北駅


帰りは 下北 10時10分発 

→ 八戸で乗り換え

→ 東京 15時33分着


 でした!







 






 みんな聞いて~!  
        

厚子さんから【「あさこはうす」発展プロジェクト】を説明してもらいました。

  子供体験ランドを作りたい!
    
 ー 子供達に遊びに来てもらい、電気がなくても楽しく暮らせる事を体験出来る場所にしたい!

 ーその為に野菜を植える、動物を育てる等、
   世話をしながら自給自足出来る楽しみを味わいながら、学ぶ場所にしたい!

 ー 厚子さんは数日前からかものひなを飼い始めていました、
   すでに住人の2匹の猫が興味を示しているので、しつけが必要かな・・・


 厚子さんがこのプロジェクトの応援や協力者を募集しています!

  現在水道が無く井戸を使えるようにしたいので、(料理やお茶はペットボトルを使用)
  だれかくわしい人がいたら助っ人に来てください!
  大工出来る人、車で運搬出来る人(厚子さんは車の運転出来ません)、
  庭仕事好きな人等など、何でも!

  いろんな応援の方法があります。

  ー 手伝いたい人や遊びに来るだけでも人の出入りがある、
  ー 郵便屋さんの届けてくれるハガキやお手紙の応援が日本国内や世界中からも来る、

    そんなことが全部助けになるそうです。

 厚子さんへの連絡は電話かお手紙で。

  あさこはうすへのお手紙の宛先
     〒039-4601
   青森県下北郡大間町字小奥戸396 あさこはうす

  あさこはうすへの電話連絡は 090-9528-4168(小笠原方)

 厚子さんからお願いで~す。
  いろんな団体やブログで「あさこはうす」宛てに寄付やカンパ要請を
   見つけても送らないでください。私に届くのはこのブログの中の送り先だけです。
        「あさこはうす」のブログは → ここ

 働いている厚子さんの娘さんが管理してくれているそうで、更新はあまり出来ないらしいけど、
今までの活動や、連絡の詳細が載っています。 
 受け取ってないのに、≪お金送りましたよ~!≫と見知らぬ人から言われたりした事があったそう、                   善意の人ばかりではないんやね~・・・

  最後に厚子さんからのメッセージビデオです!




   長~い旅ブログになりましたけど、見てくれて
    どうもありがとう~!

     助っ人チームによる仏訳も、もうすぐですよ。

      お友達のフランス人にも拡散お願いしま~す!





2013/06/13

【ARAO】 dans le département KUMAMOTO

           (Une amie a collaboré pour la traduction : AKI )
{ 日本語版 5月30日 公開済み }


Café du Bocage / café dans le petit bois

 Il y a le plus grand parc d’attraction de tout l’ouest du Japon : « Green Lande » sur le terrain de l’ancienne mine MIIKE.
D’ARAO City mall (le centre de commerce qui a était créé après la fermeture de la mine) qui se situ juste à côté de ce parc, après quelques minutes de marche à pied dans le quartier résidentiel tranquille, où se trouve un café restaurant dans la propriété de la maison de  la chef. C’est comme un oasis dans la forêt où on a envie de s’arrêter pour prendre une pose après une longue marche.

                                    Plat du jour salubre  avec  riz de vingt céréales 
  

   hors- d’œuvre


Plat du jour avec un hors-d’œuvre coûte seulement une pièce = 500 yen,…… san blague !

(La réservation  à la veille)
   
 



Cordonné : 2060-20 Kawanobori, ARAO-shi, KUMAMOTO-ken
Tél : 090-8622-6447   
L’ouverture : 11h-18h, la fermeture est irrégulière.

HP de café dans le petit bois → ICI
    

Me voilà à ARAO où jadis il y avait la Mine MIIKE.

Dans le temps, ARAO était une ville prospère grâce à la Mine MIIKE.
Il n y a pas long temps, j’ai lu un livre en titré « La centrale nucléaire jadis et la mine à présent » qu’on m’avait prêté par hasard.
J’ai découvert que les mines  aussi étaient tenues par des ouvriers discriminés comme à la centrale nucléaire….

Le contenu de ce livre m’a éclaircit peu à peu comment et pourquoi le gouvernement avait tourné vers la fermeture de la mine pour changer la matière d’énergie : du charbon au pétrole et ensuite à la nucléaire.

Mais, il y a une grande différance entre la mine et le nucléaire !

C’est que la ruine de la mine peut se convertir aux autres activités mais celle de la centrale nucléaire ne pourra plus y vivre pendant plusieurs milliaires d’années à cause de la radiation !

  Au départ, je pensais venir à ARAO juste pour rendre visite chez mon amie qui y avait aménagé.
Mais après avoir lu ce livre, j’ai eu très envie de regarder avec mes propres yeux ce lieu qui trace une histoire lourde et qui nous rappelle de la réalité actuelle de la centrale nucléaire. C’est pourquoi j’ai changé le programme à la dernière minute !

Le livre de KUMAGAI Hiroko → Ici
L’extrait d’un film sur la mine du même auteur →  Ici
.

En fin je suis sur le site de l’ancien Mine




La visite guidée (payant)
  A cette époque, ce tunnel était un passage public qui reliait le côté ARAO dans le département KUMAMOTO: à l’est et le côté OOMUTA dans le département FUKUOKA : à l’ouest.
Il mesure 2m de l’hauteur et 130m de longueur avec son mur en pierres taillées et  son plafond en béton.
L’entrée du côté ARAO
l’autre côté est OOMUTA

Juste à côté, il y a un musée d’archives, et le gardien était un ancien mineur qui a vécu l’explosion en 1963 (458 personnes sont mortes) et il était membre du deuxième syndicat ouvrier (le syndicat ouvrier qui avait été crée par la division du premier syndicat ouvrier) lors de la Lutte de MIIKE.

les appareils téléphoniques servis
 à l’intérieur de la mine. 
 

    la découverte de la mine à MIIKE en 1716 et celle de la fermeture en 1997.


 Au cour de ce voyage, j’ai aussi rendu visite chez un couple retraité qui avaient lutté pendant la Lutte de MIIKE étant membre du premier syndicat ouvrier, et qui s’installâmes dans le département de Chiba quelque temps après l’explosion de la mine MIIKE en se convertissant dans un autre métier.
Bien avant l’accident de FUKUSHIMA, ils étaient toujours contre le nucléaire disent- ils. Ils ont plus de 80 ans mais avec une  détermination ils m’ont dit

≪le gouvernement japonais d’une complexion dissimulée est exactement pareil que celui de l’époque de la 2ème guerre mondiale !


« Green Lande » apparu sur le site de l’ancienne Mine

Dans ce parc d’attraction,d'Ultraman ( qui fut produit par Tsuburaya-production vers l'annéees soixante et c'est un héro imajinaire de notre pays),ONSEN (bain de sources thermales) < l’eau du Yayoi>, des Hôtels et le terrain de golf.


La plus grande roue tournant du Japon « Rainbow (l’arc en ciel) »


A une autre ONSEN appelée < bain dream >,
Il y a aussi des bains familiaux, arrosage continue à 100% de l’eau de la source naturelle ; 5 pers maximum, 1500 yens pour 50 minutes !
Je m’en suis régalée : moi toute seule, quel bonheur !



La gare d’ARAO qui n’a qu’une sortie malgré que le train directe du FUKUOKA soit desservit.


 Désolée, mais ceci sont des critiques.

Quand j’étais arrivée à la gare d’ARAO ; qui a un aspect simple mais frais, je voyais en face déjà l’hôtel que j’avais réservé .
Je m’étais dit que j’avais de la chance car la réservation avait été faite par internet au prix bas. ≪ C’est pas mal  comme même



 Mais c’était trop tôt de me le dire…
Au tour de la gare, il y a peu de commerce et l’aspect manque de vivacité… mais pourquoi… ?
    


C’est pas vrai qu’il n’y a qu’une sortie 
dans cette gare !!
Je marche dans le parking au bord du chemin de fer. 500m plus loin, je traverse le chemin de fer et continue sur la R.N. En fin je suis devant l’hôtel qui est en face de la gare.
Marcher 1 km à pied avec mes bagages m’a complètement crevé !


La carte de bus et les horaires ne sont pas du tout clairs.
C’est la première fois que je vois ça (moi qui suis habituée à voyager).
J’ai posé la question aux gens qui attendaient le bus.

Même l’habitant de cette ville m’a dit ≪ C’est compliqué ! . 
 Une autre personne âgée m’a dit ≪ Je n’ai jamais rien comprit depuis toujours .

A côté de ça, devant la gare, des taxis, qui attendent des clients, font la queue. Qu’est ce que ça veut dire ça ? Il y a un problème là…

A propos, j’ai vu un grand panneau à la mairie sur lequel est écrite 
La demande du label Sauvegarde et héritage mondial est en cour.’

Je suis navrée pour les habitants d’ARAO mais pour aller visiter l’endroit touristique d’ARAO, je vous conseille de prendre un bus de la gare voisine : JR OOMUTA.

On dirait qu’il y a un grand écart de la manière d’évoluer entre les deux villes…

Par contre, j’ai trouvé un petit restau en face de l’hôtel.
Udon (les nouilles épaisses à la farine de froment) à 100 yens.  
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